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死後、「私(セルフ)」という意識はどこへ [考察:スピリチュアルなテーマ]

はじめに

以前から関心があった、というよりも、気になっていたのがこのタイトルの件です。死後の世界がどのようなものか、この点についてはその方面の書物を通して知識として想像できるのです。しかし、私はなぜか死後の世界がどのようなものかということより、死後、今こうして「まいな」として生きている、つまり日々の生活を営み、いろいろなことを考え、感じている主体としての意識はどうなるのか、そちらの方が気になっていました。

各自が持っている「私が、私の、私は…」という感覚、これは一般に意識の中でも「顕在意識」と呼ばれている部分かと思います。この顕在意識が死後消失してしまうなら、今こうして生きている中での「私の」記憶や「私の」思い出、それらは全て消えてしまうのだろうか、そこが疑問だったのです。

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タグ:意識

想念観察 (6) [考察:スピリチュアルなテーマ]

(2)想念観察+αの方法:

今回は前回の続きです。「想念観察を続けるだけで心の掃除ができるのか」という点について、前回はひたすら続けていけばよいと書きました。

このことはある期間想念観察を続けてみた結果として私自身が感じていることです。ただし、この実感を得るに至る途中では「本当に観察するだけでよいのか」という疑問を抱いたこともあります。

それでいろいろと調べてみたり、自分でも工夫してきました。それらを+αの方法ということでご紹介します。

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想念観察 (5) [考察:スピリチュアルなテーマ]

想念観察の目的

今回はいきなり結論めいたところから書いてみたいと思います。結局、私は何のために想念観察を行っているのか。「自分の心の中を掃除する」、一言でいうとそういうことです。

そういう意味では、少なくとも私にとっては別テーマとして取り上げたホ・オポノポノと目的は同じあり、今の私の中では想念観察とホ・オポノポノの境界はあまりない感じです。ホ・オポノポノとの関係については次回に書きます。

「自分の心の中を掃除する」、具体的には自分の中にあるエゴとそれに起因する想いのクセとか物事へのこだわり・執着、そういったものから離れていく作業だと考えています。その第一歩は現状把握なのですが、その方法として想念観察があるわけです。

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想念観察 (4) [考察:スピリチュアルなテーマ]

はじめに

想念とはどのようなものか、それらを観察するとはどういうことかを考察してきました。つぎに想念観察の効果、想念観察を続けていくとどうなるのか、その先に何があるのかといったあたりを考えてみます。

「考察:スピリチュアルなテーマ」の中では単に世間で知られている情報を整理してお伝えするということではなく、できるだけ自分なりの実践の中で感じたことや体験してきたことを交えて記事を書いています。ですので、書けることも限られてはいるのですが、皆様の何かの参考になれば幸いです。

想念観察の一番のポイントは感覚器官を通じて知覚した外の世界を観察するのではなく、自分の心というスクリーン上に現れるさまざな思い=想念を観察の対象としている点です。

観察するには何か目的があるはずなのですが、結局のところ、想念観察は何のために行うものなのでしょうか。続けると何か効果や功徳があるのでしょうか。

今回と次回はこの点をテーマにして書いてみます。

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想念観察 (3) [考察:スピリチュアルなテーマ]

「想念観察 (1)、(2)」では「想念」自体について説明しましたが、次に「想念を観察する」とはどういうことか考えてみます。

「想念を、自分を客観的な第三者の立場に置いて、ひたすら観察するのが想念観察」と先の記事でも書いたのですが、具体的には「自分は今、○○という想念を発している」ということを、自分自身を第三者的な立場から眺めるということです。自分自身の心の動きを常時モニターする行為と言ってもよいかもしれません。

言われてみれば簡単なことですが、いくつかポイントがあるように思います。このあたりは実践する人によって違いもあると思いますので、私自身の実践方法としてご紹介します。

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想念観察 (2) [考察:スピリチュアルなテーマ]

「気になる」という感覚を大事にする

本当は想念観察に関する考察を先に進めようと思ったのですが、若干前回の記事の補足をしておく必要を感じたので、今回はそのことを書きます。

前回、想念の源泉・ソースとして以下を紹介しました。
想念の源泉・ソース

本能的な反応
  突然の物音にビックリするなど
自分自身の過去の記憶
  「思い出」「トラウマ」のような過去の感情や思考が記憶として再生される場合。
他人の想念
  繁華街や電車の中などで疲れやすくなったり、不快な気分になるなど。
自然界との交流
  ペットとの交流、自然の中にいると気分が落ち着いたり、何かのひらめきを得たりするなど
物的なエネルギー/物質が保持している記憶
  骨董品・古い家屋・古戦場等から感じる、ある種の感情など
肉体を持たない霊的な存在や地球外の生命体の発するメッセージ
  霊界通信やチャネリング情報など

列挙したあと「何か説明が足りないような」という気がしたのですが(こういう気持ちも想念です)、そのときは足りない内容が明確でなかったため、そのまま記事を書き終えました。

しかし、今回考察を先に進めようとして、やはり、その部分を補足しておく必要があると強く感じましたので、上記の内容に若干ですが補足説明をさせていただきます。

このように自分の中で「何か気になる」という感覚が生じた場合、その感覚を素直に信頼し、無視しないことはとても大切なことのようです。

特に気になる内容が、自分の生き方そのものに関する内容である場合には、それを無視してしまうと、将来大幅な軌道修正を迫られるような事態に追い込まれることもありえます。そこにも宇宙の法則のようなものが働いていると考えられます。

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想念観察 (1) [考察:スピリチュアルなテーマ]

想念観察とは

想念観察は自己観察といってもよいですが、要するに自分の想念を観察するという行為・習慣です。

あえて習慣と書いたのは、瞑想行のように毎日一定の時間を確保して行うというよりは、朝起きてから夜寝るまで、常時行う性質の行為だからです。

想念を一言でいうなら「自分の心というスクリーンに現れるさまざまな想い」ということになります。それらの想念を、自分を客観的な第三者の立場に置いて、ひたすら観察するのが想念観察です。

この想念観察の目的は「エゴが日常生活の中でどのように振舞っているか」を観察することにあります。

私が初めて「想念観察」という言葉を知ったのはカテゴリー「書棚の中の一冊」でも紹介したジョージ・アダムスキー氏の著作を通してでした。

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ホ・オポノポノ (4) [考察:スピリチュアルなテーマ]

100%自分の責任ということ

ホ・オポノポノを考える上で、「4つの言葉」あるいは広くクリーニング・ツール以上に重要と思われるのは、「人生に起きる出来事は100%自分の責任である」という考え方です。

スピリチュアル系の教えの中では、同種の考えがいろいろな表現で伝えられています。思いつくままに挙げてみます。

 ・人は今生でどう生きるか、人生の計画を持って生まれてきた
 ・運命は100%決まっている
 ・意識が全てを決定する、プログラムしている
 ・この3次元の世界は霊的な成長をめざして学ぶ教室である

「人生に起きる出来事は100%自分の責任である」というのもこれらの言葉と深い関連があるでしょう。

さて、この言葉のポイントは「100%」という点で、例外はありません。

「これは私のせいではない、あの人の責任だ」、「これは偶然である」「不慮の事故だった」といったことは一切認めない、全ては自分が決めたことだということであり、ある意味厳しい言葉です。

この言葉を理解するには、あるいは、受け入れる下地を作るためにはホ・オポノポノに限らず、先ほど挙げたようなスピリチュアル系の教えに関心を持つことが必要かもしれません。

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ホ・オポノポノ (3) [考察:スピリチュアルなテーマ]

4つの言葉について

ホ・オポノポノと言えば、「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」の4つの言葉を唱えればよいというシンプルさがユニークです。

このあまりのシンプルさゆえに、逆に疑問点も多いようで、書籍やネット上のあちこちで質疑応答が繰り返されています。

今回は4つの言葉に絞って、私自身がどのように理解しているのかを書いてみます。

私の理解のベースは「ホ・オポノポノ (2)」に書いたように、「問題解決のプロセスを起動するトリガー」という解釈です。

本当は4つの言葉自体に何か特別な力があるのかもしれません。特に日本では「言葉には霊的な力が宿っている」という「言霊」という概念があったりします。

しかし、4つの言葉は各国の言語で唱えればよいことになっていますし、仮に各国に「言霊」的な概念があったとしても、クリーニング・ツールは言葉以外にも無数にあるわけですから。

私に何か霊的な力があったり、波動を感じる能力があれば、この特別な力についてもう少し探求するかもしれませんが、あいにくその類の能力は備えていません。しかし、ご紹介した私なりの解釈で自分自身が納得し、頭の中もすっきりしているので、これで良しとしています。

以下、思いつくままによくありそうな疑問点とそれに対する私なりの解釈をご紹介します。何かのご参考にしていただければ幸いです。

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エゴ [考察:スピリチュアルなテーマ]

エゴは悪いもの?

エゴ」という言葉にはどちらかいえば悪いイメージがあります。一般には「エゴイスティック」「わがまま」「自分のことしか考えない」といった具合に、「自分さえよければ、他はどうでもいい」という態度を指す言葉として使われるのではないでしょうか。

そのためにスピリチュアルな成長を目指そうとする場合に、自分の中にあるエゴを不要な存在、ネガティブな存在であると認識し、成長のためにはそれらをクリアする、消去する必要があるという考えもあるようです。

しかし、そのようにエゴを敵対視する見方ではエゴをクリアすることはできないし、そもそもエゴをクリアする必要などないのです。

必要なのはエゴへの正しい認識、そこから生まれるエゴへの感謝・愛情であり、結果としてのエゴ自身の成長のようです。このプロセスを指して「エゴを統合する」という言い方もされます。

一方で、なぜ一般にはエゴに対する悪いイメージがあるのかということも考えてみる必要があります。

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