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想念観察 (1) [考察:スピリチュアルなテーマ]

想念観察とは

想念観察は自己観察といってもよいですが、要するに自分の想念を観察するという行為・習慣です。

あえて習慣と書いたのは、瞑想行のように毎日一定の時間を確保して行うというよりは、朝起きてから夜寝るまで、常時行う性質の行為だからです。

想念を一言でいうなら「自分の心というスクリーンに現れるさまざまな想い」ということになります。それらの想念を、自分を客観的な第三者の立場に置いて、ひたすら観察するのが想念観察です。

この想念観察の目的は「エゴが日常生活の中でどのように振舞っているか」を観察することにあります。

私が初めて「想念観察」という言葉を知ったのはカテゴリー「書棚の中の一冊」でも紹介したジョージ・アダムスキー氏の著作を通してでした。

彼が紹介した方法は、1日の終わりに日記を書く要領でその日の主な想念をリストアップし、それを宇宙的な想念と利己的な想念とに分類してノートに記録する作業を毎日続ける、という方法です。

いくつか思うところもあり、彼の方法どおりには行わず、私なりのホ・オポノポノの1ステップとして、日常の習慣として行っており、想念観察のために就寝前等の一定時間を確保することはしていません。

なお、「私なりのホ・オポノポノ」という表現自体、すでに(純正)ホ・オポノポノではないかもしれません。この点は別の記事がありますので、よろしければご参照ください。

想念について

さて、「想念=自分の心というスクリーンに現れる想い」と書きました。具体的にはどのようなものが想念なのでしょうか。最初に、この想念について詳しく見ていきたいと思います。
想念の種類

五官を通じた感覚
  痛い・寒い、うるさい、まぶしい等、感覚器官を通じて伝えられる感覚
感情
   恐怖・喜び・怒り・悲しみ等の感情。本能的なものも含む
思考・思い
   「~したい」「~したらどうしよう」「なぜ」等の心に描く「考え」や「思い」

他にもあるかもしれませんが、要するに「自分の心に現れるもの、浮かぶものすべて」ということです。

わかりやすい例もあげてみましょう。皆様が座禅などをして無念夢想の状態に一瞬でもなったとします。しかし、しばらく時間がたつと
 ・足がしびれてきた、痛い
 ・雲行きが怪しいが、雨が降らないだろうか
 ・セミの鳴き声がうるさい
 ・そよ風が心地よい
 ・今晩の夕食は何にしようか
といった具合に雑念と呼ばれるものに追い回されて、とても無念無想の境地どころではなくなるのではないでしょうか。これらの雑念もすべて想念です。

ところで、このような想念の源泉、ソースはどこなのでしょうか。思いつくままですが列挙してみます。
想念の源泉・ソース

本能的な反応
  突然の物音にビックリするなど
自分自身の過去の記憶
  「思い出」「トラウマ」のような過去の感情や思考が記憶として再生される場合。
他人の想念
  繁華街や電車の中などで疲れやすくなったり、不快な気分になるなど。
自然界との交流
  ペットとの交流、自然の中にいると気分が落ち着いたり、何かのひらめきを得たりするなど
物的なエネルギー/物質が保持している記憶
  骨董品・古い家屋・古戦場等から感じる、ある種の感情など
肉体を持たない霊的な存在や地球外の生命体の発するメッセージ
  霊界通信やチャネリング情報など

いかがでしょうか。想念は自分が作り出しているもののようですが、実際はいろいろな源泉・ソースから発生しているものなのです。また、一つの想念が他の想念を呼び起こすといった想念の連鎖反応もあります。

想念観察においては、想念の種類や源泉を分析することが主目的ではないのですが、一応ここに書いたようなことを理解しておくことも無駄ではないでしょう。

余談ではありますが、「テレパシー」という言葉がありますね。特別な人だけが持つ能力のように思われますが、ここで紹介したような多くのソースから無数の想念を受けて人は生きているのです。それらを本人が意識的に認識できるかどうかは別にして、「テレパシックな能力」の無い人はいないと言えます。

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