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エゴ [考察:スピリチュアルなテーマ]

エゴは悪いもの?

エゴ」という言葉にはどちらかいえば悪いイメージがあります。一般には「エゴイスティック」「わがまま」「自分のことしか考えない」といった具合に、「自分さえよければ、他はどうでもいい」という態度を指す言葉として使われるのではないでしょうか。

そのためにスピリチュアルな成長を目指そうとする場合に、自分の中にあるエゴを不要な存在、ネガティブな存在であると認識し、成長のためにはそれらをクリアする、消去する必要があるという考えもあるようです。

しかし、そのようにエゴを敵対視する見方ではエゴをクリアすることはできないし、そもそもエゴをクリアする必要などないのです。

必要なのはエゴへの正しい認識、そこから生まれるエゴへの感謝・愛情であり、結果としてのエゴ自身の成長のようです。このプロセスを指して「エゴを統合する」という言い方もされます。

一方で、なぜ一般にはエゴに対する悪いイメージがあるのかということも考えてみる必要があります。

そもそもエゴとは

人間は生まれた直後から幼少期の一定期間、自分の力だけでは何もできません。周囲からのサポートを受けながら、環境と触れ合いながら様々な学習を行い、肉体と心の両面で成長していきます。

この誕生からの一定期間、自分を守るために自己の存在を主張していく、そういう働きがどうしても必要になってきます。言葉は使えなくてもお腹がすいたら泣いてメッセージを伝えたり、何かをしたいと思ったら身振り手振りでメッセージを伝えたり。

その働き自体は誰かに教えられたものではなく、本能的なものであり、生命の営みの一部と考えてよいでしょう。これがエゴです。

もしエゴという働きがなかったら、生まれてきた子供は周囲に何のサインも送ることはしません。それでは周囲の家族もその子を守り育てることができません。それはその子自身の生存に関わることなのです。

このように、エゴは自然の法則の一側面であり、個体の維持のために必要なものです。ですから、本来悪いものでも、不要なものでもないし、むしろ必要なものであり、その働きに感謝すべきものなのです。

子供の成長とエゴのその後

やがて子供は大きくなり、家庭内での学習だけでなく、学校教育など社会の中でも学び、さらに成長していきます。

少し飛躍した表現にはなってしまうのですが、この社会の中での学習の本来のテーマは「愛」「平和」「万物に対する敬意と感謝」「自他の共存・共栄」といったテーマのはずなのです。

これらのテーマを学びつつ、それを具現化している社会に暮らす中で、自分自身も一人前の大人に成長していくのです。

この過程の中で、エゴ自身も幼少期の「自己を主張して個体を守る・維持するという役割を安心して終えられることを見届け、もっと大きな意識に溶け込んで、エゴ自身もその一部になる、これが「エゴの統合」ということです。

しかし、現実社会が今述べたような状況にないことは明らかですね。現実は競争を助長し、少数の富裕層だけが豊かな暮らしをして、大多数は極端な言い方をすれば、「お金がなければ生活できないので、ただ金を稼ぐために仕事をこなす毎日をおくる」という生活を強いられているわけです。

なぜそういう社会になっているのか、今はその裏のカラクリも暴露される時代になってきました。この点はこの記事のテーマからはずれてしまうので触れません。

現実社会の中で「競争して勝ち抜いてこその人生、人生には勝者と敗者があるのみ」ということを徹底的に教育されたとしたら、エゴはどのようになるのでしょうか。

幼少期のある期間だけは周囲からも許容されていた「自分を守るために自己の存在を主張していく」という働きをますます強めていきます。成長と共にエゴの働きが増強されていきます。そうでなければ自分を守れないからです。

決して望ましい状態ではありません。「○○勝手」、「○○中心」、「○○さえよければ」という状態なのですから。「○○」の中にはいろいろな言葉が入ります。

エゴにどう向き合うのか

ここまで読んでいただくと、エゴを敵対視して悪者扱いするのは間違いだということがわかります。エゴを悪者扱いして責めるのは筋違いです。責めればエゴはますます頑なになるだけです。

行き過ぎはあるかもしれませんが、でもエゴが今も働いて自分を守ってくれているからこそ、激しい競争社会の中をここまで生きてこれたのです。エゴはどこまでも自分の働きに忠実なだけなのです。

ですから、エゴに感謝し、これからも共に歩もうという気持ちを送ることが大事です。エゴも自分の一部として大切に扱い愛してあげるのです。私はエゴに対して日々このように向き合っています。

さて、スピリチュアル系の情報を調べていくと、このエゴとの向き合い方、もう少し具体的な方法・テクニックとして活用できそうなものもいろいろあります。

それらの中で私が利用しているのは「想念観察」と「ホ・オポノポノ」です。自己流ではありますが、自分なりに2つを組み合わせて使わせてもらっています。これらについては、また別の記事としてご紹介してみたいと思います。

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