SSブログ

知人との会話より (2012/02/04) [その他の話題]

先週の土曜日、新宿で知人と会いました。知人といっても昭和21年生まれで私よりはずっと年上、人生の先輩でもあります。仮にAさんとしておきます。

用件は仕事に関することだったのですが、そちらの話は短く済まして、その後2時間ほど人生談義というか、いろいろと話をさせていただきました。

Aさんのお仕事は鉄道関係の土木技術のエンジニアです。また、スピリチュアルという面では、40年近く、ある精神修養団体の会員として人生の学びを続けてこられた方です。

その人生談義の中から、印象に残った話をご紹介させていただきます。特に()がない部分はAさんの発言としてお読みください。

人間、すべて借り物

人が生きていくうえで必要なもの、エネルギー、食料、土地、さらにはこの肉体、よく考えるとすべて自然から与えられたもの、自然から一時的に借りているだけ。

人からお金を借りたらどうするか。もちろん、お礼を言って借りたお金をお返しする。

それでは、自然に対してはどうするか。最低限忘れていはいけないのは、日々の感謝やお礼の気持ちではないのか。自然からの恵みなくしては1日さえ生きられないのだから。

制限された自由

「人間、すべて借り物」なのだけれど、一つだけ自分のものと言えるものがある。それは「考えること、思うこと」。これだけは個人の自由であり、何を考えてもよい、思ってもよい。

(まいなの発言)「自由だけれど、そこにも自然の法則に則しているか、反しているかの違いはありますよね。反していれば自然の一部である肉体が反発して病気になることもあるし。」

そういうことだと思う。

(Aさんは、それに関連した話を鉄道を例にして続ける)

鉄道はレールの上しか走れないという意味では制約がある。しかし、路線の数を増やし行くことで自由度を増やしていくことができる。人の道も同じではないか。

近年、人生に行き詰まりを感じ、自殺したり、心を病む人が増えている。それは人生の選択肢というレールが1本しかないからだろう。自分はスピリチュアルな教えを学んできたことで、人生のレールが1本だけではなく、いくつもあることを学べたことは幸せであった。

人生の目標

(Aさんは若い頃から人生の目標が見つけられなくて、煩悶としていたそうです。)今の仕事を選択したのも学生時代の先生の勧めがあったからということで、決して自分で決心して進んできた道ということではなかった。

(まいなの発言)「小林正観という方が頼まれごとの人生という考え方を著書の中で紹介しています。Aさんは結局、自分が決めた目標に向けて進んでいくという人生は送ってこなかったみたいですが、この頼まれごとの人生という見方で人生を振り返ってみて、何か感じますか。

(精神修養団体の)私の師も同じような見方であったと思う。「自分のことより、人のことを気遣う」、師はそれに徹した人だった。

自分も自分の目標に向かって進むという人生ではなく、サラリーマンとしての平凡な人生であった。しかし結果として、40年以上も会員としてスピリチュアルな学びを続けることができたし、今考えれば不思議というか、これが自分の道であるのだろうという気がする。

今後は縁のある人にこの自分が学んできたことを伝えていくこと、それが自分の役割だと思っている。

お話は以上です。

関連記事:「宇宙が味方の見方道」



コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。