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意識の回転数 [体験記:音のレッスン(完)]

はじめに

音のレッスンの中で先生はしばしば不思議な表現を用います。その一つに「もっと回転数を上げて」という表現があります。

決していい加減に歌っているわけではないが、ほんの一瞬気がゆるんで惰性で声を出した瞬間、先生はそれを逃さず、「音が落ちています、もっと回転数をあげてください」と指示を出します。

聞く側に立つとわかりやすいですが、「どこか気の抜けた音だな」とか、「音が下がり気味では」と感じる瞬間のことと考えてください。

そこで、「回転数を上げる」とはどういう意味なのか、また、どうすれば回転数を上げることができるのか、そのあたりを探ってみたいと思います。

「探る」という言葉を用いたのには理由があります。

「回転数を上げる」という表現、ちょっと不思議で意味不明の表現だと思うのですが、私自身は先生からその意味をレッスン中に詳しく説明していただいた記憶はないのです。

ただ、自分なりに先生の言わんとするその意図を汲み取る、あるいは、何を求めているのかを感じ、「回転数をあげたつもりになって」声を出す。すると先生が「今のはいいですね」と言う。

そういう練習の繰り返しの中で、「多分こういう理解で間違いはないのだろう」という自分なりの解釈があるにすぎません。

以下に書いていく内容はその私の解釈のご紹介ですので、そのつもりでお読みください。

運転中の意識:自動車の運転に例えると

道路標識で「スピード出しすぎ注意」の類の標識はよく見かけます。ところが高速道路の長い上り坂などでは逆に、「ゆるい上り勾配、スピード低下に注意」という標識を見かけることがあります。

わざわざ「スピードを出せ」と指示している面白い標識ですね。スピードが落ちることで渋滞を招いてしまうことを防ぐ意味での注意だと思います。

この状況でのドライバーの意識を考えてみましょう。

急な上り坂が目前にせまれば、誰でも無意識にアクセルを踏み込んでスピード低下に備えるはずです。ところが、長くゆるい上り勾配ではどうでしょうか。直前までの平坦地と同じ調子で運転を続けてしまう人も多いのではないでしょうか。だから、わざわざ「ゆるい上り坂、スピード低下に注意」という標識が設置されているのでしょう。

ここでは運転中のドライバーの注意力・意識が問題です。

意識的で注意深いドライバーであれば、
 ・周囲の景色の微妙な変化
 ・計器類を見てエンジン回転数のわりに(平坦地と比べて)速度が落ちてきていること
 ・先行車との車間が広がってきている
など、何らかの情報収集を常に行っており、当然アクセルを踏み込んで意識的に「回転数を上げる」でしょう。

一方、無意識で惰性で運転しているドライバーは平坦地と同じ調子でアクセルを踏み続けてしまい、スピードが落ちていることに気がつかないのです。

音楽の中での意識

今度は音楽に話を戻しましょう。

よく観察していると、先生が「回転数を上げて」と注意する箇所にはいくつかのパターンがあるように思います。

 ・「ソ・ソ・ソ」のように同じ音が続いている箇所
 ・長い音価になることが多い箇所
  ・フレーズの変わり目の最後の音
  ・メロディーが上行/下行していく場合のその頂点の音
  ・曲の終わりでフェルマータの指示が入っているような音
 ・複数の音がタイ記号で結ばれ音価が長くなる箇所
これらは先ほどの「ゆるい上り勾配」にあたる部分です。

先生はよく「一音一音、意識を切り替えて声を出してください」とおっしゃるのですが、このような箇所では無意識のうちに油断して、(悪い意味での)「自動操縦」モードになってしまいがちです。

つまり、同じ音が続く箇所で意識の切替をせずに、一つ前の音と同じ意識のまま続けて歌ってしまったり、音を長く伸ばす箇所で音を出す瞬間だけに注意があって、残りは惰性で口だけ開いて声を出している状態になっているということです。

この状態を先生の言葉を用いるなら「回転数が下がっている」状態というのでしょう。

回転数を上げる方法

ところで、車のエンジンの回転数をあげるにはアクセルを踏めばよいのですが、声を出すときに回転数を上げるにはどうすればよいのでしょうか。

まず「何の回転数を上げるのか」ですが、声を出すときの「意識の回転数」であり、声はその結果です。「意識の回転数が上がる/下がる」を日常的な表現を用いるとしたら「(声を出すときの)気持ち・集中が持続する/切れる」が近いかもしれません。

そこで、意識の回転数を上げるにはどうすればよいのか。

究極的には「音のレッスン」で常にいわれる「周りの音をよく聴く」ということにつきる思います。この一言にすべて含まれている気はします。

その上で、現段階での私なりの方法があるとしたら、以下のようなことです。あくまで練習のある段階・過程での工夫・方便のようなものだと自分でも思っています。

一つは、先に挙げたような要警戒箇所で、他の人の声もさることながら、自分の声にさらに意識的になること。

もう一つは、少し背筋を伸ばすとか、手や足の動作も意図的に加えてみるということです。

こうして書きながらふと思ったのですが、歌いながら手も動かす歌手の人は多いですね。あれは振り付けではなく無意識の動作なのでしょうが、意識の回転数を上げようとする気持ちが肉体的な動作とも密接につながっている、肉体にも反映するということかもしません。

私の工夫は、その手の動作を意図的に行って回転数を上げるということなのでしょう。

もっとも、コーラスは皆で歌うものなので、一人だけ大げさな手の動作をしては目立ってしまいます。そこにも一工夫必要ですが。


タグ:意識
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