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直観を使うということ [波動の法則]

はじめに

スピリチュアルなテーマとして想念観察とホ・オポノポノを取り上げてきました。私のスピリチュアル・ライフの中でこの2つが大きな柱となっており、文章化という作業を通じて、その意義を新ためて自分自身でも確認しておきたかったのです。

ここに「直観」という新たな柱が加わろうとしています。「書棚の中の1冊」というカテゴリーで「波動の法則」という本を紹介させていただいたのですが、最近は実生活でも不思議と、その法則を実践されている方々との交流の機会が増えてきたように感じています。交流を通じて「直観を使う」とはどういうことなのか、さまざまなヒントをいただだき、何となくですがポイントが掴めてきたのです。今回はそのあたりを記事にしてみたいと思います。

直観とは何なのか

直観とは何か、人によっていろいろな説明があると思いますが、ここでは私が信頼している「波動の法則」にもとづく説明と思ってください。「波動の法則」を信頼すると言いましたが、何故かと言われても困るのです。「何となく」としか言いようがありませんが、こういうのが直観なのでしょう。

人間の意識には顕在意識・潜在意識・本質の意識の3つがあります。

顕在意識は絶えず周囲から情報収集を行い、自分を安全に守り維持・管理・運営する役割をもちます。潜在意識は過去の情報にもとづいて顕在意識が行っていない大半の情報処理を行っています。「おなかがすいた」と感じたときに、顕在意識は何を食べればよいかを考えますが、その食物が体内に入り、栄養分として取り込まれるまでの複雑なプロセスを担っているのが潜在意識です。いわば裏方です。

このあたりの説明は一般的な心理学的な説明とはかなり異なります。そして、この2つの意識が肉体の一部なのに対し、肉体の外にある意識が本質の意識です。本質という言葉は魂・霊・スピリットという言葉を使ってもよいのかもしれません。そして、この本質の意識が顕在意識に向かって発する情報が直観なのです。

スピリチュアルな世界ではよく「この地球でのさまざまな体験は全て魂の成長のためのレッスン」という意味合いの表現が用いられます。このことを「波動の法則」では「本質のスタディ」と表現しています。

本質はこの3次元世界でさまざまな体験を積みながら、成長し進化していきます。そのために、本質は顕在意識・潜在意識の助けを借りながら、つまり肉体を持ってこの世に生まれ、いろいろな「思い」を3次元の世界に具体化・現実化し続けるのです。その「思い」こそが、本質が顕在意識に送っているメッセージであり、直観なのです。

本質は同じ一人の人間の中にありながら、顕在意識・潜在意識のような肉体的・3次元的存在ではなく、宇宙の長大な時間の中を生きながら、膨大な体験を積んできた宇宙的な存在です。直観はそのような存在から顕在意識へのメッセージです。

ここがポイントなのですが、3つの意識の存在とその役割をこのように理解するならば、人生の主役は本質の意識であり、顕在意識・潜在意識はその協力者だということです。ところが、この地球ではいろいろな理由があるようですが、いつの間にか顕在意識の中のエゴといわれる部分が人生の主役になってしまいました。

以上の説明はかなり端折ったものであり、要約しすぎではありますが、おそらくこの記事を興味をもって読んでくださっている読者の方であれば、言わんとするところはわかっていただけるのではと思っています。

こういう説明を理解したうえで、あとは一人一人がエゴ中心の生き方を継続していくのか、それとも本質中心の生き方にシフト、軌道修正していくのか、いずれかを選択するわけです。

本質中心にシフトしていく決心をしたならば、本質からのメッセージに素直に受け止めて、それを行動を通じて顕現していくことを日常的な習慣にしていくことが必要です。

直観を使うといういうこと

本質とは宇宙的存在であり、直観とはその本質が処理している情報です。ここまでは私でも説明できるのですが、ここから先、つまり日常生活で直観を使う=本質から情報を得るという実践部分については、私自身も「本質中心にシフトしていく決心」をしたばかりです。先に書いたような人々との交流を通じて「直観を使うとはこういうことらしい」ということを掴みかけてきた段階にすぎません。そのつもりでお読みください。

(1)直観はエゴを満足させるとは限らない

直観は本質からの情報であり、必ずしもエゴにとって都合のよい情報とは限りません。成功法則関係の本のキャッチコピーにありそうな「直観を活かして夢を実現し幸せになろう」の類とは少し違うのです。成功・幸せ・成長、こういった言葉の意味するところがあくまで「本質にとっての・・・」ということであり、顕在意識・エゴの考えている損得判断による「自分にとって都合がよい」ものではないのです。

ですから、何かを判断し行動するにあたって直観を活かすということは、初めのうちは勇気と覚悟のいることかもしれないのです。今までこびり付いている「顕在意識で考える判断・推測」と直観の内容が異なることに戸惑いを感じてしまうのです。人生の主役を誰と思うのか、そこをじっくりと考える必要があります。損得を超えた世界に参入しようとしているのですから。

(2)直観は使えば使うほど精度が上がってくる

直観を使って何かを判断し、行動するプロセスはおおむね、以下のようになります。
1 何についての情報が必要なのかを、できるだけ具体的・明確な形に整理する
2 1の内容を質問や要望として(イメージとして)宇宙に向けて発信する
3 発信したら頭を空にして、情報が入ってくるのを待つ
4 情報を受信したら、その情報にもとづいて行動を起こす
5 行動した結果を確認・評価する

手順的には以上ですが、初めからスムーズにいくわけではありません。大半の人は顕在意識・エゴ中心の判断処理が習慣になっているため、直観を使うという回路が休止状態、錆びついている状態にあるようです。

風呂に入ってリラックスしてボーっとしている時にアイデアが浮かぶという話があります。本当は発信したらすぐに回答が返ってくるものらしいですが、回路が錆びついているために、「ボーっとしている」という特殊な状態のときしか受信ができないということなのです。

ですから練習が必要です。上記のプロセスは初めのうちは「直観を使うプロセス」というより、「直観を使うレッスンのプロセス」と考えたほうがよいのです。

最初のうちは何かを受信しても、それが直観か単なる願望や思考かもよくわかりません。それでもその情報を信じて、それにもとづいて行動してみるしかありません。そのプロセスを繰り返すことで直観の精度・情報としての信頼度が上がってくるのであり、「一足飛びで」というわけにはいかないものです。

ホ・オポノポノとの関係

この記事の冒頭で、「直観」を私のスピリチュアル・ライフの新たな柱と書きました。それまでの柱は想念観察とホ・オポノポノでした。想念観察は純粋な観察の習慣・態度ですが、ホ・オポノポノは直観同様、積極的な行為です。そこで、この2つを比較してみます。

人間本来のあり方、これを別の言い方で表現するならば「人間はエゴを満たすために生きているのか、本質の成長のために生きているのか、人生の主役はエゴか本質か」ということです。そして、人によって考えは異なりますが、私は「本質こそ人生の主役」であるとある時期から思い始め、人生の軌道修正を行っています。

その軌道修正の方法として、
 ホ・オポノポノ:現在の自分に注目して、その中のエゴを減らしていくアプローチ
 直観:本来の自分に注目して、本質とのコミュニケーションのパイプを再構築していくアプローチ
の2つがあるように思えます。

まずエゴに対処するのか、それとも、エゴは無視して本質に向き合うのか、両者はアプローチの違いであり、共存可能でしょう。これ以外のアプローチも当然あるはずです。いずれにしても焦りは禁物、どのような方法でもあってもそれを日々の習慣として地道に進んでいくことが大切だと思います。

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