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ホ・オポノポノな体験:職場の人間関係 [その他の話題]

「周囲の人間は自分の鏡」と言われることがありますが、この意味を現在の私の職場での体験から考えてみました。

現在、私は昼間は自宅でソフトウェア関係の仕事を行い、それと別に週に何日か飲食店でホール関係のバイトをしています。職場での体験というのは後者のバイト先での話です。私は長い間ソフトウェア関係の仕事に従事してきました。今は自宅で細々と行っていますが、それだけでは収入も不安定なこともあり、何かバイトをと始めたのが今の仕事です。

以前別の記事でも書いたことですが、どんなバイトをしようかと考えていたとき、なぜか自分で苦手意識のあるものに敢えて挑戦してみたくなり、ホールでの接客の仕事に決めました。スピリチュアルな学びからくる発想だと思いますが、潜在的な苦手意識はある意味自分のカルマ、逃げずにクリアしておくべき課題、そういう感覚があったのです。

仕事という、いい加減なことは許されず、自分の都合だけでは動けない、そういう場に短期間であっても自分を置くことで、いろいろな自分の中の課題を集中的に掘り起こす必要がある、そんな思いです。掘り起こしてどうするかというと、ひたすらクリーニング、つまりホ・オポノポノの実践です。

学生時代の皿洗いや調理補助のアルバイト体験のおかげで、飲食関係の人々の雰囲気にはすぐになじめましたが、ホールの業務は初体験で戸惑いもありましたが、今は仕事そのものには慣れてきて、それなりにこなしています。

仕事に慣れてくると、どこにでもある複雑な人間関係というものが見えてきます。

・親分肌ではあるが、直情型で忙しくイライラしてくると、すぐに怒り口調になるホール責任者
・やたらと他人の欠点を指摘したがる人
・愚痴の多い人
・仕事はできるが、マイペース
・いつも上から目線のきつい言い方、命令口調の人
といった感じで、結構クセのある人たちが集まっています。そういう人達に囲まれて、短期間で辞めてしまう人もいます。

このように書き並べると仕事に支障があるようですが、そこは大人です。ホールで直接お客様と接する仕事なので、お客様の前では笑顔でそつなく仕事をこなしています。逆に言うと、仕事を収入確保の場と割り切っているだけということかもしれません。

今回、この記事を書こうと思ったきっかけは、一緒に働いている大卒の新人女性のちょっとした発言です。彼女と話しているときに、たまたまホール責任者の栗田氏(仮名)の話題になったのです。彼女の発言を要約して紹介すると、「昼の主婦のパートの女性は栗田さんのことを、店長のいる前でも、『じじい』って呼んでいるんですよ、この調子だからいつまでたっても平行線ですね。みんな人付き合いが下手ですね」というものです。

「へー、そこまで仲が悪いんだ」と実情を聞いてびっくりすると同時に、彼女のクールな観察にも感心したのでした。冒頭の「周囲の人間は自分の鏡」、本当に似た者同士が集まる、これは法則なのでしょう。

さて、その職場にいる私も似た者ということになります。決して言い訳をするつもりではないのですが、「周囲の人間は自分の鏡」の意味をどうとらえるか、少しだけ書かせていただきます。

まず、私が社会人になってから現在に至るまで、何度も上に書き並べたような人達に囲まれる職場を体験してきました。そして、程度は別にしても、私自身にもいくつかは彼らと同じような態度をとっていた部分がありました。

ただ幸いなことに、スピリチュアルな学びとも縁があったおかげで、そういう自分を反省する、振り返ることもできました。だから若い頃に比べたら、(自己評価に過ぎませんが)クセはなくなってきているとは思います。今は「以前の自分にも○○さんみたいな部分があったな」、そんな感じで周囲を見ています。

それでも「洗い出しが終わったと思って油断しないでくださいね」、そんな直観の声が聞こえてきます。その声が今の職場に私を導いて、さらなる体験の機会を与えているのだと解釈しています。

初めから、そういう考え方のもとに今の仕事を始めました。ですから、単に収入を得る場という割り切って時間の切り売りをするのではなく、以下の2つのことの実践の場であるとも意識しています。

一つは「クリーニング」。

日々の仕事で湧き上がる不安・イライラ・反発心・他のスタッフに感じる「気になる点」、そういった全ての想念を可能な限りクリーニングしていくこと。「100%自己責任」これがホ・オポノポノの考えであり、外に現れているものは全て自分の内面の表れとして謙虚に受け止めます。細かい原因・理由の詮索は不要、ひたすらクリーニングです。

もう一つは「下座の精神」。

この言葉自体はある所で教えていただいたのですが、もともとは仏教の修行の一つのようです。今までの経験とか地位とか、そういうものを脇において、自分を一段低いところにおく、そんな意味です。今の職場では「ありがとうございます、すいません、教えてください」、少しオーバーに言えば「はい」以外に、この3つの言葉しか使わないことを心がけています。思わず理屈で言い返そうとするようなことはもちろんありますが、そんなときこそ、この下座の精神を思い起こすと同時に即クリーニングです。

この2つを常に心がけて仕事に臨んでいます。

そのせいかどうかはわかりませんが、先に書いた栗田氏他のクセのある人達、口調は相変わらずですが、みんな私には親切にはしてくれます。仕事はできる人たちなので学ぶべき点もあるのは確かなのです。彼らの良い点を素直に受け止め、悪いと感じる部分には同調しないようにしています。

そして、私はその人達を変えようとも思いません。私が変わっていくことで彼らも結果として変わるかもしれません。結果は神のみぞ知る、それもホ・オポノポノです。

さて、「周囲の人間は自分の鏡」という言葉について。

「周囲の人間は自分の鏡」、そうは考えずに「悪いのは相手」という人は案外多いのかもしれません。周囲の考え方はともかく、私はこの言葉を次の意味で受け入れています。
鏡は良くも悪くも自分の内面を映し出しているに過ぎない。それは自分の意識の投影に過ぎないので、鏡に映った像(外の世界)を変えようと努力することは意味がない。別の像を映したければ、自分自身(内なる世界)を変える必要がある。

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