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後に声を出す (2) [体験記:音のレッスン(完)]

「ミキシング」という作業に例えて

「後に声を出す (1)」では、「後に」ではなく、普通に歌うときどのような意識の状態にあるのか、自己観察の結果をまとめてみました。

これに対して「後に声を出す」意識・感覚はどのようなものなのでしょうか。

数回の個人レッスンとコーラスの練習、これらを通じて今私が感じているのは、「ミキシング」という作業を行っているときの意識が一番近いかなということです。

そこで、以下「ミキシング」というものを例にして、「後に声を出す」ことの意味を考えてみます。

音楽制作の現場の映像がたまに紹介されますが、ご覧になったことがありますか。スタジオと呼ばれる場所にミキサーとかコンソールと呼ばれる大型のテーブルのような装置が置かれています。その装置をよく見ると1列が一塊/1グループ(トラックといいます)となっていて、その1列の中にスイッチやスライドが規則的に配置されています。

それぞれの列/トラックは特定の音源と繋がっています。ポップスであれば、第1トラックはギター・第2トラックはベース・第3トラックはドラムス・第4・5トラックがストリングス・第6トラックボーカルといったイメージです。

それで、ミキサーが何をする装置かというと、ヘッドフォンやスピーカーで音を確かめながら、それぞれの音源の音量・音質・左右の音のバランスといったものを調整するという「総合的な音作り」を行う装置なのです。

この「総合的な音作り」の作業が「ミキシング」です。オーケストラでいえば指揮者の役割に近いかもしれません。

そして、今の私の感覚としてはコーラスで声を出すとき、このミキシング作業も同時に、リアルタイムに行っている感じなのです。

何度も書いてきたことですが、「風の歌」のハーモニーでは徹底的に周囲の音を聞くことを求められす。その中に自分の声を乗せようとしたとき、カラオケで歌うときのような「前から声を出す」意識では、聞こえてくるハーモニーに溶け込むような声が出せないのです。

自分の声も含むコーラス全体のハーモニーの調和、歌っている最中にこれを意識しようとすると、どこか自分自身を一歩下がった位置から眺めるような感覚に私はならざるを得ません。これは自分が出す声に浸っている「前から出す声」の対極にある感覚です。

つまり
 (A) 周囲の音を注意深く聞こうとする意識
 (B) その周囲の音に溶け込むような自分の声を出そうとする意識
この2つの要素が「後に声を出す」という言葉の背後にあるように感じます。

また、(B)の意識から実際に出る声は単体ではとてもか細く、繊細な音です。練習の中では、この声を出そうとするときの感覚を「針の穴を通す感覚」と言ったりしています。先生がメンバーに「後に声を出してください」と指示しているとき、この声を求めているのでしょう。

奥の意識

ミキシング作業は「総合的な音作り」の作業だと書きました。コーラスの音でいえば、周囲の音+自分の声から成るコーラス全体の音をどうまとめるか作業です。

この作業を歌っているメンバーの一人一人がリアルタイムで判断しながら行っているのです。非常に集中力を要する作業でもあります。

この「リアルタイムな判断」を誰が行っているのでしょうか。もちろん一人一人には違いないのですが、そういう意味ではなく、各自が頭の中で行っている作業・判断の主役は誰なのかということです。

先生はこの点について「奥の意識を信頼する、奥の意識に任せる」という表現をよく用います。

「奥の意識とは何か」、深く考え出すと難しいかと思いますが、一つ確かなのは「頭で考える、頭で判断する」という我々が日常生活で当たり前に行っている行為の否定であることです。練習の中では、頭で「どんな音を出そうか」と考えながら声を出すと「探りを入れないでください」と注意されます。

そして、そういう表面的な判断を捨てて、各自が本来持っており、しかし、今はずっと使わないために錆付いている本能的な音に対する感覚、それを目覚めさせて使うということだと思います。

佐々木先生の用いた「耳をひらく」という表現はこの本能的な感覚を目覚めさすということでしょう。だから、音のレッスンは単に音楽のレッスンにとどまるものではなく、意識や感覚を高めていくトレーニングでもあるような気がしている今日この頃です。

タグ:意識
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