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ゆりかごのうた (2) [体験記:音のレッスン(完)]

少し前までの私はこのハーモニーが、ふわーんとして輪郭のはっきりしない音の塊のように聞こえてきて、頭がクラクラしていました。

多くの合唱では(ソプラノとかバスとか)各声部をわりと区別して聞き取れるものですが、このハーモニーは各声部が限りなく混ざり合い、よほど注意深く聞かないと聞き分けるのが難しいのです。それが自然に聞き分けられるような音に対する感覚を育てていくことが「耳をひらく」ことかなという気はしています。

とはいっても、聞く側としては別に聞き分けられることが良い・悪いということではないし、そのような分析的な聞き方をする必要もありません。何も考えずリラックスして心地よく聞いていただくのが一番です。

一方、歌う側はなかなか大変なのです。音のレッスンの中では「周り人の音を聴く」ことを徹底的に仕込まれます。「もっと聴いて」「今、聴いていましたか」とか毎回のように誰かが注意をうけるような感じなのです。

聞いていただいた「ゆりかごのうた」もそのような普段の練習の積み重ねから生まれてきたハーモニーです。皆様は何を感じましたか。

ところで、コンサートでの「風の歌」のハーモニーへの反応は人によりいろいろです。ごくまれではありますが、眠くなったり、涙を流す人もいます。退屈な歌だから、悲しい旋律だからというのとは違うようです。その人にふさわしい形で癒しのエネルギーに包まれているのだと思います。

しかし、歌う側が「癒しのエネルギーを送ってあげよう」というような意図・目的をもって歌うということはありません。もしそのような気持ちで歌うとしたら、それはむしろ雑念の混じった音かもしれないのです。

言い方を変えると、何かの意図や目的を混ぜてしまった音は、おそらく作為的な音となり、人を感動させたり酔わせる音にはなっても、聞いている人の深部にまで響く音にはならない気がします。その意味では目指すのはどこまでも透明でピュアなハーモニーです。

「徹底して周りの人の音を聴く」、これに集中するのがどれだけ難しいことか。私自身は集中することに集中している状態=余裕がない、そんな段階で先は長そうです。

ここから先は今の私には未知の領域なのですが、そういうピュアなものを追求していくと、最後は「意識」とか「エゴ」というテーマに向き合わなくてはならない時がくるようです。

なにやら禅の境地に踏み込みそうな感じですが、そんなことまで考えさせてくれる音のレッスン、奥が深そうです。

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コメント 3

susuki

興味深く読んでいます。
続きが楽しみです。
by susuki (2012-01-16 23:23) 

まいな

Suzukiさん、コメントありがとうございます。練習開始から1年にも満たない私ですので、そう多くは書けそうにありませんが、その都度気づいたことを不定期に書いていくつもりです。

Suzukiさんは佐々木先生の本に紹介されていた梨大や山形のハーモニーを聞いたことがあるのですか。何かの縁があれば私も聞いてみたいものです。レコードがあるようですが、一般に出回るようなものではないので、機会はなさそうですが。

by まいな (2012-01-19 11:59) 

susuki

私は梨大のOB、ただのOBです。毎日分離唱を合唱を唱っていた日々がありました。当時、佐々木先生と一緒に鍋島先生もよく見えましたので、即興演奏も何回か聴かせていただきました。山形の演奏は残念ながら生では聴いたことがありません。

レコードはプライベート盤でしたが、今でも佐々木先生宅で入手可能ではないでしょうか。
by susuki (2012-01-20 23:07) 

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